好きなことを仕事にして生きて行けたら、それはとても幸せなことかも知れないけど、それって相当難しい。
普段、交流会を主催している方が〝好きなことを軸にして生きていく〟というテーマで会議?を開催されるということで、サポートスタッフとして参加させていただきました。
途中、意見を求められたのでホワイトボードにわたしなりの意見を書きながら、参加者の皆様と交流をさせていただきました。
好きなことは趣味として楽しむのが幸せ
会議の中で様々な人達のお話を伺いながら、これまでは漠然と〝好きなことをしながら暮らしていけたら楽しいだろうなぁ・・・〟と考えたことが何度もありましたが、この日、わたしが出した結論はこうです。
好きなことは趣味として楽しむ方が幸せだということ
これは、好きなことで暮らして行くことそのものを否定しているわけではなく、〝好きなことを飯の種にしない方がいい〟ということです。
どういうことか?というと、ちょうど、この会議が開催された時期から、〝起業や副業〟がブームのようになっていて、その中でも〝好きなことで副業や起業をしよう!〟と煽るような風潮がありました。
そして、今回わたしが参加させていただいた会議もまさにそんな世間の風潮に沿った内容の会議になるはずの会議だったのですが・・・
いざ、参加してみると、参加者の多くは顔見知りでそれぞれが思い思いの意見を交換していくという言わば、会議のような形で会議が進行していきました。
わたし自身、会議に参加するまでは、〝好きなことで生きていくこと〟に憧れを持っていながらも、好きなことが多すぎて、どれを軸にすればいいのやら・・・といった中途半端な感じでいました。
それでも、皆さんの前に立ってお話をさせていただいている途中で感じたなんて言うか、違和感のような感情だけはやり過ごすことが出来ずに、その時に感じたことを素直にアウトプットしていきました。
それは・・・
〝好きなことをしながら生きていく〟と言うことはつまり言い方を変えると、〝好きなことを飯の種にして暮らしていく〟と、いうことになります。このことを更に噛み砕いてみると・・・
〝わたしは好きなことをしているので、そのことに対して顧客は対価を支払ってね!〟
という、何とも自分勝手な理屈になってしまいます。
なんて言うか、〝好きなこと〟という言葉の響きには、どこか身勝手な印象を受けてしまうのでこんな風に考えてしまっていたんでしょうね。
例えば、わたしの〝好きなこと〟が、〝ゲームをすること〟であれば、わたしはゲームをしているので、そのことに対してお金を払ってくれる顧客が居て、それでわたしは暮らしていけている・・・ということになります。
「なんだ、それならYouTubeなどでゲーム配信をしている人が該当するじゃん!」
と、いった意見が聞こえてきそうですが、ゲーム配信をしている人というのは、自分自身が好きなゲームを好き勝手にプレイしているわけではなく、時流に沿ったゲームで且つ、視聴している人が面白がれる、喜ばれるようなプレイをしないとオーディエンスは、観てくれないと思います。
オーディエンスが観てくれないと、広告収入は入って来ないし、投げ銭などの課金もしてくれないと思うんです。
そうなると、単に〝ゲームをすることが好きだからゲームをしている〟のではなく、〝オーディエンスが面白がれる、喜んでくれるようなゲームを選んで、釘付けになるようなプレイをする〟ということになるわけです。
もちろん、ゲームをプレイすることに変わりはないので、楽しいのかも知れませんが、それはどこか違っていると思うんです。
そこからわたしが導き出した結論は、〝好きなことは趣味としてやる〟そして、飯の種にするのは、〝好きなことから派生した何か〟、もっと言うと、〝嫌いじゃないことでどちらかと言えば好きな事で世の中の需要があること〟が良いと思うんですよね。
例に出した〝ゲーム配信〟なんて正にそれ。
ゲームをすることが嫌いな人がゲーム配信なんてしたら、辛くて仕方ないと思うんです。だから、ケーム配信をすることが嫌いじゃない人がケーム配信をした方が幸せなんだと思います。
そして、取り組むことの大前提には、〝世の中の需要があること〟です。
世の中の需要が無いことに一生懸命に取り組んでも、それが〝飯の種〟に変わるのってものすごく難しいことだということは、誰だって分かるはずです。もし、〝好きなこと〟が世の中の需要が無いことでも、趣味として取り組んでいるのであれば、それは全く問題無いわけです。
つまり、このことから〝好きなことをしながら生きていく〟ためには、〝嫌いじゃないことでどちらかと言えば好きな事で世の中の需要があること〟を飯の種にしておくということが必要だということです。
もし、日本が資本主義の国じゃなくて、共産主義とかだったら、違って来ていると思いますが・・・